ナオコガイドのアイルランド日記

観光ガイドによるアイルランド生活・旅情報

マツユキ草とスノードロップ

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『森は生きている』という童話をご存知ですか?
わがままな女王が春にしか咲かない「マツユキ草」を欲しがり、摘んできた者には金貨を与えるとのおふれを出します。これを知った意地悪なおばあさんに命じられて、雪深い真冬の森へ花を探しに行く女の子のお話。
(あらすじはこちら

確か学校か公民館で劇を見たのが最初だったと思いますが、妖精が出てきたり、魔法によって季節が変わっていくシーンがなんとも幻想的で、今でも強く心に残っています。

森の精が咲かせてくれた「マツユキ草」って、きれいな名前。一体どんな花なんだろう…。
どうも日本の田舎にはないようだったので、仕方なく友達と、黄色い福寿草を「うそっこに、これがマツユキ草ね!」ということにし、「森は生きているごっこ」をしていたものです。(笑)

大人になってヨーロッパに来るようになり、私のイメージそっくりの「マツユキ草」を見つけた時にはとても感激しました。
その花の名は「スノードロップ」。まるで森の精の化身のように愛らしいこの花を、「私のマツユキ草」ということにしました。

今年もスノードロップの季節がやってきました
写真は、おとといパワーズコート庭園で、今年初めて見つけた一株。空気はまだ冷たいけれど、大地にはもう春がやってきているんですね。

つい最近になって、スノードロップの日本名が「マツユキ草」であることを初めて知り、衝撃を受けました…!
昔読んだ立原えりかさんの童話に、パリに咲くリラの花を見たいと憧れながら、近所に咲くライラックの花を素通りしていたという話があったのを思い出して、ひとり苦笑してしまいました。(笑)

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月曜朝の映画館にて・・・『ミス・ポター』鑑賞

アイルランドに戻ってきてからというもの、なんだか時差ボケ気味らしく、毎朝とっても早く目が覚めてしまいます。
ゆっくり朝ごはんを食べ、いくつか用事を済ませても尚、長い長い午前中。友人とのランチの約束までまだ何時間もあるので、朝から優雅に(!)映画鑑賞に出かけることにしました。

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cineworld・ダブリンのシティーセンターで一番大きな映画館

休日には長い行列の出来るチケット売り場も、さすが月曜日の午前中、広いホールはがら~んと静か。
午後は7.20ユーロ、夜と休日は9.20ユーロの鑑賞料金も、午前中はたったの5ユーロとお得です。

2階のおやつ売り場(ポップコーンや変なキャンディー、スナックを売っています)へアイスを買いに行くと、売り場のお兄ちゃんもさすがに暇らしく、
「ミス・ポター観るの?そりゃ、いいチョイスだよ~、えっと何だっけ、そうそうコットンテールだよね~、あのウサギの名前。それをクリエイトした人の映画なんだよ~、知ってる?」
…と、私が「ピーターラビットだよ」と訂正するのも聞かず、べらべらと話し続けていました。
私が大のウサギ好きで、家には体長約70センチの湖水地方から連れ帰ってきた巨大ピーターラビットがいることなど、彼には知る由もないわけですが、「コットンテール」が口をついて出てきたところを見ると、彼もなかなかの「ウサギ通」だったりして!
(注:ピーターには、フロプシー、モプシー、コットンテールという3匹の兄弟がいます)

アイスを食べながらシアターへ入ると、予想通り、がら~ん。観客席を隅から隅まで見渡してみたのですが、どうやら私の他には誰もいないみたいです…。

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誰もいない観客席に向かって懸命に演技するレニー・ゼルウィガー…思わず写真を撮ってしまいました

大画面を独り占めして、『ミス・ポター(Miss Potter)』を堪能(ちょっと寂しくもありましたが…)。
ピーターラビットの作者であり、優れた植物学者(特にキノコ通)、晩年は牧羊飼育に長けた女性ファーマーとしても才能を発揮したビアトリクス・ポター(Beatrix Potter, 1866-1943)の生誕140周年を記念して製作されたというこの作品。
女性の権利が著しく抑制されていたビクトリア時代にあって、自らが創作した絵本の印税で独り立ちしていく彼女の半生が描かれていました。

彼女の死後、湖水地方の土地や家は遺言によりナショナル・トラストに寄贈され、そのおかげで、美しい景観が今に残されていることはよく知られています。
数年前、ポターの住んだヒルトップ農場を訪れた際、何もかもがピーターラビットの世界そのままで、とても感激したことを思い出しました。

子供の頃からピーターラビットに親しみ、伝記や、解読された暗号日記まで読んで育った私にとって、ビアトリクス・ポターは格別に思い入れのある人物。
映画は、事実関係と若干前後する部分があったりしたものの、オタクのみが知りうるくらいのもので許容範囲。何より英国の田園風景が美しく、大げさ過ぎるくらいのコテコテの上流階級の英語が、真似して言ってみたいくらい面白かったです。
ウサギ好きにも、ブリジット・ジョーンズ好き(!)にも楽しめる、チャーミングな作品でした。

日本では今年の秋に公開されるようですが、誰もいない映画館で鑑賞…というのは、ちょっと難しいかもしれませんね(笑)。

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我が家の巨大ピーター。実物大…より大きい!

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コマドリと初仕事

2007年の初仕事は、グレンダーロック&パワーズコート終日のご案内。
今日のお客様は、会社の出張でダブリンに滞在中のアメリカ人。日本語もお上手な方でしたので、日本語・英語を取り混ぜてのガイディングとなりました。

日曜日のグレンダーロックは、1月とは言え、山歩きを楽しむ地元の家族連れで賑やか。史跡エリアは逆に静かで、コマドリたちの格好の遊び場となっていました。

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墓石の上でひと休み~

コマドリといえば、キリスト教の国ではクリスマスのシンボルのひとつ。そのせいかこの鳥を見かけるといつも、なんだかいいことが起こる気がして嬉しくなります。

その昔、イエス・キリスト誕生の際、天使にも負けない声量で真っ先に喜びの歌を歌ったのがコマドリだったとか。そのご褒美に、より大きく美しい声を授かり、以来クリスマスの頃になると、可愛らしい鳴き声で鳴くようになったそうです。

その後、キリスト臨終の際にも現れて、十字架にかけられたキリストの額に刺さったイバラの棘を抜こうとし、返り血を浴びて胸が赤く染まったとの伝説はよく知られていますよね。

時おり可愛らしい鳴き声を響かせながら、墓石やヒイラギの枝をパタパタと飛び回るコマドリたちに囲まれ、幸福の青い鳥…ではないけれど、なんだか幸先のいい仕事始めとなりました~!

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ウォーキングを楽しむ家族連れ

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アイルランドへの長~い旅

一昨日の夜、無事にアイルランドに戻ってきました!

2ヶ月ぶりのダブリンは、細かい霧雨の降るしとしとした夜。乾燥した日本でカサカサになっていた肌も、みるみるしっとりしていくのが感じられました。

今回のダブリンへの帰路は、思いがけず「長い旅」となりました。
コペンハーゲン経由の便を利用したのですが、日本出発が大幅に遅れたためダブリン行きの便に乗り継げず、なんとワルシャワ経由でダブリンへ。ダブリン空港に着いた時には、すでに深夜をまわっていました。

-4℃のコペンハーゲン、滑走路に除雪車が出動中の雪のワルシャワに比べて、小ぬか雨の降る夜のダブリンはなんとも人間臭く、ほお~っと気持ちが和みます~。

複雑な乗り継ぎにスーツケースは着いて来られず、一日遅れで到着。
家に帰るのですから急ぐわけでもなし、こんな予想外の「長旅」も、終わってみれば面白かったな~。

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恩師のリンゴ

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小学校時代の恩師が「アイルランドにはリンゴなんかはあるんかや~」と遠慮がちにおっしゃりながら、持たせてくださった信州リンゴ。
「陰陽エネルギー農法」と言って、リンゴの生命力を高めるために一本一本の木に声をかけるなどして、特別に育てたリンゴだそうです。

毎年、年賀状でご挨拶はしているものの、お会いするのはおそらく10年ぶりくらいだったY先生。
海外で暮らす私の健康を気遣って下さり、何か郷土のおいしいものを…とリンゴを一箱お土産に持たせて下さった先生の、素朴で温かいお人柄に胸が熱くなりました。

数週間前、母が運転する車に乗っていた時のこと。「Y先生のご自宅はこの辺なのよ~」と母が言い、「久しぶりにお会いしたいね~」と話していたところ、なんと目の前から当のY先生がこちらへ歩いて来るではありませんか。
20数年前、小さな私たちをご指導いただいた頃とさして変わらぬ元気なお姿をしたY先生。一瞬、夢かと我が目を疑いました。
その時は立ち話でお別れし、今日あらためてお訪ねしたというわけです。

おととしの愛知万博でも、アイルランド館をいちばん長く見学なさったというY先生。地元の新聞にアイルランドの記事を見つけた時は、すぐに切り抜いて封筒に入れたものの、はて、ナーちゃんに田舎の新聞記事を送ったところで喜ぶかや~と躊躇され、迷った挙句に送らずじまいだったそう。
こんなお話を、これまた遠慮がちに話されました。

この先生の細やかで、私の性格や行動パターンを知り尽くした上でのご指導(かなり個性的な子供だったので…笑)はそれは見事なものでした。先生に指図されて行動した記憶が全くないのですから(笑)。

のびのびと楽しかった小学校時代。
子供時代の楽しかった記憶は、人生のさまざま場面でいつも私を勇気付けてくれるのです。

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帰愛準備

帰愛を数日後に控えて、今夜は荷物のパッキングに大忙し。スーツケースは一足先に明日、宅配便で空港へ送り出します。

日本で買った新しい洋服、母の故郷でついてもらったお餅、お気に入りの日本茶、干しシイタケ、ふりかけ…などといった食料品、友人に頼まれた日用品や本などなど、来る時は隙間だらけだったスーツケースも、帰る時はいつもはち切れんばかり!

今回は2ヶ月近く日本に滞在したのですが、友達や家族と何気ない時間を過ごすのが本当に楽しく幸せで、最高の「ホリデー」でした。
この夏の仕事の足がかりとなるようなことも2~3することが出来、仕事の面でも充実した気分でアイルランドへ戻れます。

そうは言ってもやはり、しばらく会えなくなる家族のことを想うといろいろ気懸かりで、後ろ髪が引かれるような想いも…。
それでも、パッキングを終えてスーツケースの蓋を閉めたその瞬間、心の扉の掛け金もカチッと音を立てるから不思議
ああ、またアイルランドへ戻るのだな、と身が引き締まるような想いがし、次の瞬間、緑の大地がたまらなく恋しくなってきました。

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ガイディング・アイルランドのHP更新

トップページで、アイルランドの美しい画像をお楽しみいただけるようになりました。
癒し効果満点ですので、ぜひご覧になってみてくださいね!
    ↓
ガイディング・アイルランド
(撮影:ナオコガイド・シロウト写真で恐縮ですが…)

各ページも徐々に更新中。写真も増やしていく予定です。
今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします~!



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千の風になって

私がこの詩のことを初めて知ったのは、昨年の夏のこと。
アイルランド北部の旅の途中、デリーの街へ立ち寄った際に、Pearlさんに教えていただいた(←詩の全文もこちらにあります)のがきっかけでした。

世界各国の終戦記念日や戦没者慰霊祭などで朗読され、遺族の心を慰め続けてきたこの詩ですが、長い間、作者は不明とされてきました。
さまざまな説が唱えられ、IRAの兵士だった若者が「自分が死んだら開封してください」と両親に託した手紙に、この詩が記されていたこともあったそうです。

最近では、この詩の原作者はアメリカ人のメアリー・フライ(Mary Frye)という女性であるとされているようです。1930年代に、ヒットラー政権下のドイツで母親を失った友人のために書いたものだそう。
「母の墓標に立ってさよならを告げることも出来ないのがつらい」と泣き崩れる友人を目の前にして、どうにか慰めようととっさにペンを取って書き連ねたものだとか。
著名な詩人ではなく、市井の人から自然に生まれ出たメッセージである「千の風」。この詩が時代も国境も越えて人々の心を打つのは、作為的に創作されたのではなく、心の声を絞り出すかのようにして生まれ出たものだからなのでしょう。

日本でも、日本語の訳詩とメロディーがつけられ、今や大晦日の紅白歌合戦に登場するほど有名になったこの詩。
阪神淡路大震災よりちょうど12年経った今日、その追悼集会でも「千の風」のメロディーが演奏されていました。
それを聞きながら、「ああ、あれから12年も経つのだな」としみじみ感じ入ったわけですが、震災で幕を開けた1995年は、私にとっても忘れられない年でした。
12年前の今日、神戸にいた父に連絡がつかず、燃えさかる神戸の街をテレビで見ながら心配して過ごしたこと、震災が直接の原因ではなかったものの、その半年後に突然他界した父…。
その他に身内の出産や結婚式など嬉しいニュースも多く、今思い返してみても、実にさまざまなことの起こった不思議な一年でした。

震災の直後に産まれ、その愛らしい姿で悲しいはずの父の葬儀を和ませてくれた従姉妹の子が、今年中学生となります。
月日の流れの速さに驚くと共に、千の風となって今日の私たちを見守ってくれているたくさんの魂に、心から感謝したいと思います

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私の先祖はアイリッシュ…?

10年近く前のことですが、ご一緒したお客様の中に「ご先祖がデリー出身のアイルランド人です」という方がいらっしゃいました。

その方の曾お祖父様か、曾々お祖父様か忘れてしまいましたが、ともかく3代か4代前のご先祖様が、明治時代の長崎へ造船関係の技師としてやって来たアイルランド人だったというのです。
今となってはそのお客様のお名前すら思い出すことが出来ないのですが、日本人としてはなかなか彫りの深いお顔立ちをしたその方が、デリーの街を一歩一歩踏みしめるように感慨深げに歩いておられたことをよく覚えています。

デリーやベルファーストを含むアイルランド北東部は、島内で唯一、イギリスの産業革命の恩恵を受けた地域。特にベルファーストの造船業は19世紀後半より繁栄を極め、日本もその方面の技術をベルファーストより導入していた時期があったようです。
おそらくデリー出身のその人は、明治時代の日本へ西洋の技術を伝えるべくやって来て、縁あって日本に子孫を残すこととなったのでしょう。そして、そのような経緯でアイルランド人と縁続きとなっている人は、意外に多く日本にいるのかもしれないなあ、と思ったりしたのでした。

そんなことがあってか、「ナオコガイドさんはどうしてアイルランドに来たんですか」と聞かれると、半ば冗談で「先祖がアイリッシュ説」を唱えている私。(笑)
「語学留学がきっかけで」とか「会社の派遣で」とか「アイルランド人と結婚したので」といったわかりやすい理由のない私は、返事に窮してしまうことが多いのです。
ほとんど「直感」でアイルランドに来てしまった私には、質問にひと言で答えるのが難しく、かといってうまく説明も出来ない。初めのうちは、「アイルランドの妖精に導かれまして…」とか「運命のいたずらで…」などと答えていたのですが、ある時それがエスカレートして、
「そうですね~、もしかして先祖にアイリッシュの血でも混じってたんでしょうかね~」
などと言ってしまい、言った瞬間にはっとしました。
もしや、今口をついて出た言葉は意外と真実だったりして…!
かつてお客様より聞いた「ご先祖様がデリー出身」の話を思い出し、私の場合もそうかもしれない…と何やら確信めいた気持ちが起こってきたのです。

もちろんこれは単なる私の思いつきであり、根拠のない話なのですが、それでも妙に納得したような気持ちになってしまったのは、私の父が九州の天草出身であるからかもしれません。
父の故郷とは言え、ごく幼少の頃に1~2度行ったきりの天草。詳しいことは何も知らず、天草→キリシタン→異国風…というのが、私の勝手なイメージ。
さらに、祖父が船頭をしていたこと、造船の栄えた長崎に遠くないことなどから、これまた飛躍したイメージが連想ゲーム風に広がっていき、もしや先祖に造船関連でやって来たアイリッシュでもいたりして…との仮説を知らず知らずのうちに組み立ててしまったのかもしれません。
そして、その数世代のちに誕生した私にアイリッシュの血が返り咲き、吸い寄せられるが如くアイルランドへ渡ることになったのではないか…と、さらに妄想たくましくしたというわけです。

過去300年にわたる移民の歴史を持つアイルランドには、アメリカやカナダなどから先祖のルーツを探すために多くの人がやって来ます。公的な「先祖探しセンター」のような窓口が設けられていたり、「genealogy(系図学)」という学問も盛ん
友人のJohnはお墓オタクで、系図学にも精通しているので、私の父方のルーツについて相談してみたことがあります。
一番の方法は、まずは生き残っている身内から先祖について知っていることを出来る限り聞き出し、糸口を見つけることだそうですが、祖父母はもとより父本人も他界した今となっては、先祖のことを多少なりとも語れるのは年老いた遠方に住む伯父くらいでしょうか。天草にも親戚はほとんど残っておらず、こんなことなら生きているうちに、もっとたくさん話を聞いておけば良かったな~と悔やまれてなりません。

…よって、私の「先祖がアイリッシュ説」は、全くもって仮説・空想の域を出ない話なのですが、「何故アイルランドに?」という問いに対する答えとしてはロマンがあって楽しいので、そのままにしているというわけです。(笑)

週末に父の13回忌の法事がありました。父方の親戚は遠方にいるため、近くにいる母方の親戚一同に集まっていただき、一泊二日で旅館に泊まって和やかに過ごしました。
私の父は色が白く、髪は天然カーリー、日本人としては高すぎる「ローマン・ノーズ(ローマ彫刻のような鼻梁の高い鼻)」の持ち主でした。
ふと影善に据えられた父の写真に目をやると、なんだかアイルランドのどこかにいそうな顔…。
やはり私の「先祖がアイリッシュ説」は正しいのかもしれない…と思ってみたけれど、天国にいるはずの父が、私に会いに時々アイルランドにやってきているだけなのかもしれないので、真偽のほどはやはり何とも言えないのでした~!

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別所温泉の旅館からの眺め、1週間前の雪がまだ残っています~。


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飯田橋でラム肉とサーモン!

年末年始の旅館のお手伝いも無事終了し、そろそろ本業の方の稼動開始!
夏のツアーの打ち合わせなど、いくつか日本国内で済ませておく用事があって上京しました。

今日は、この夏にアイルランドへお仲間旅行をお考えのグループさんにお会いしてきました。
このグループさんとは、6年前に私がガイドさせていただいたご縁で知り合い、それ以来、懇意にさせていただいています。前回はアイルランド南部中心の旅でしたので、次回はぜひ北部へ!ということでプランニングさせていただき、この夏ついに「2度目のアイルランド旅行」が実現しそうです!

飯田橋の素敵なホテルでのランチにご招待いただいき、久しぶりにお会いする皆さんと、おいしいお食事と楽しい会話。
さらにランチのメニューが、まるでアイルランドのレストランのお料理のようだったので、嬉しくなってしまいました。

鴨のロースト、キャロットのスープに続き、メイン・ディッシュはラム肉またはサーモンのチョイス。ラム肉とサーモンと言えば、どちらもティピカルなアイリッシュ・ディッシュです

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(私はラムをいただきました…AGNES HOTELにて)

アイルランドでいただくよりも、ちょっぴりお上品な盛り付けのラム肉…。ついつい骨までしゃぶりながら、皆さんとのアイルランドでの再会を確信したのでした~!

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アイリッシュ・トラッドがいっぱい

日本でテレビを見ていると、アイルランドの伝統音楽が実によく耳に入ってくるので驚きます。ドラマや旅番組を見ていると、アイリッシュ・トラッドがさりげな~くバック・ミュージックに流れていることがとても多いのです。

ティンウィッスルやフィドルで奏でる明るいダンス曲ピアノで弾く哀愁漂う『ダニー・ボーイ』など、今日のような雪の降る日はテレビを見て過ごす時間も長く、「あれ、またアイリッシュ・ミュージックだ!」の連発。

日本人がこれだけ日常的に、それもメディアを通して無意識にアイルランドの曲を耳にしているというのは、なかなか面白い話だと思います。
しかも気づかないくらいにぴったりきているのですから、やはり両国民の感性に通じるところ多し…。

日本からアイルランドに来たお客様が、「どこかで聞いたことのあるような曲ね~」とおっしゃる理由がこれでわかりました。無意識に聞いていても、きっと潜在意識が好ましく覚えているのでしょうね。

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昨日から降り続く雪で外は一面、真っ白…!

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30年前の私の家へ

A Happy New Year 2007!!

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お正月の楽しみのひとつは、普段は会う機会の少ない親戚や地元の友達とワイワイすること。
今年の元旦は、姉がお友達と「手作りケーキを食べる会」をするというので一緒に連れて行ってもらいました。
写真の美しいイチゴタルトは、姉の幼稚園時代からのお友達Hちゃんの手作り!おいしいケーキと紅茶をいただきながら、とても楽しい元旦の午後を過ごしました。

この日お邪魔したHちゃんのお住まいは、実はとてもなつかしい場所。というのも、今から30年ほど前、そこは私たち一家の住まいだったから。
私の記憶の中での人生最初の家。なんと約30年ぶりにそこを訪れたわけです。

玄関を一歩入ったとたんに、30年前にタイムスリップ。自分で驚くほどにさまざまな記憶がよみがえってきました。

父のオフィスだった場所、
台所の裏口(隣りの家が家事になり、この扉をちょっぴり開けて見ていた)、
茶の間だった部屋、
テレビが置かれていた床、
お気に入りのタオルのウサギを落として大泣きしたトイレ、
私が一人遊びしていた子供部屋、
風邪を引いて寝ていたらキリンがお見舞いに来て首を出した窓(私の記憶の中ではホントの話!)、
干し柿が下がっていた窓からの眺め、
タンポポ積みをした原っぱ(今は駐車場)


…そこここに、まるで3歳の私が見えるよう。
すべてが私の記憶よりミニサイズに思えるのは、私が30年分大きくなったから?

当時の茶の間などは、Hちゃんご夫妻によりきれいにリフォームされ、和と洋がミックスしたおしゃれでより温かい空間に生まれ変わっていました。

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レトロなストーブ

昔のなつかしい話や、アイルランドの話で盛り上がり、この秋にはHちゃんと、同じく姉の幼馴染みのRちゃんがアイルランドに遊びに来てくださるそうです!
私の人生の今と昔が交差するような、ちょっと意味あり気でワクワクするような一年の始まりとなりました。

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