ナオコガイドのアイルランド日記

観光ガイドによるアイルランド生活・旅情報

マンハッタンの「小さなアイルランド」

少し時間が経ってしまいましたが、先日訪れたニューヨークのアイルランド関連の地について、もう一箇所だけご紹介させてください。

ウォール・ストリートやグランド・ゼロからそう遠くない、マンハッタンのビルの谷間に、なんと、小さな「アイルランド」があるんです。

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周囲の景色とは全くミスマッチに、唐突に現れるアイルランドの緑の大地&廃墟となったコテージ(民家)。土も、植物も、石も、コテージも、すべてアイルランドから移築された、ホンモノです。

これは、Irish Hunger Memorial(アイルランド飢饉記念)といって、1842~49年にアイルランドを襲ったジャガイモ大飢饉、それに続く移民の歴史を忘れないように…との目的で、2002年、ニューヨーク州・市によって設置されたものです。
コテージは1820年代に建てられたもので、アイルランド西部カウンティー・メイヨー(Co.Mayo)のAttymass村から運ばれたもの。メイヨーは、ジャガイモ大飢饉の際に国内でも最も大きな被害を出した地域のひとつ。今でも、飢饉の時に打ち捨てられたコテージの廃墟が、時々残されています。

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こんなトンネルのような通路を抜けて、「アイルランド」へ入ります

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アイルランド製ストーン・ウォールから見晴らす、ハドソン川と対岸のニュージャージー

敷地内には、60種類以上のアイルランドの雑草や花が植えられているとのこと。

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シャムロックもちゃんとありました

そして、32カウンティーのそれぞれから運ばれた、その地域を象徴する石が点在しています。

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例えばこれは、カウンティー・クレアの石灰岩。きっとバレンの石でしょう

こちらは巡礼のステーション・ストーン。なんだか雰囲気たっぷりで、周囲にそびえるビルさえ見なければ、ニューヨークであることをすっかり忘れそうです。

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この小さなアイルランドは、きっかり0.5エーカー(資料によって、1.25エーカーと記されているものもあって、どちらが正しいかまだ調べられずにいます)。
これにも意味があって、この大きさが、19世紀のアイルランド人が所有出来る、最大の土地サイズだったそう。これ以上所有すると、本来与えられるべき生活保護や、移民のための援助金がもらえないことになっていたので、多くのアイルランド人は、土地所有をあきらめざるを得なかったのです。

2003年にニューヨークに来た時は、この場所を探すのにずい分と苦労しました。
今回は、ホテルなどで無料で配布されているシティー・マップにもちゃんとマークされていのたで、このマンハッタンの「小さなアイルランド」の存在を知る人も増えてきたのかもしれませんね。

Irish Hunger Memorial
Vesey Street と North End Avenue の角
入場無料

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聖パトリックの聖遺物は五番街にあった!

ニューヨークの五番街、ビルの谷間に負けじとそびえ立つセント・パトリック大聖堂(St. Patirick's Cathedaral)。

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1858~1878年建設。北アメリカ最大のネオ・ゴシック様式のカテドラル

マンハッタンに数ある教会の中でもひときわ大きく美しいこの聖堂は、ニューヨークにおけるアイルランド系住民の底力を物語るようです。
街歩きの途中に訪れてみると、ちょうどミサの始まるところで、多くの人が参拝に訪れていました。

アイルランドの守護聖人パトリックをまつった教会であるからには、何かパトリックに関係する装飾があっていいはず。
例えば、ダブリンの聖パトリック大聖堂は、パトリックが信者を洗礼したという泉が沸いていた場所に建てられており、祭壇上部のステンドグラスにはパトリックの姿があしらわれています。

ここにも何か、パトリックゆかりのものがあるのでは…と思い、教会の運営委員らしき人に尋ねてみたところ、ミサの準備でお忙しいところを大変親切に教えてくださいました。

まずは、主祭壇向かって左側の柱に聖パトリックの像。

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アイルランドの聖パトリックは先の尖った帽子(司教さんの帽子)をかぶって司教杖を持っているので、これがパトリックだとは気がつきませんでした

そしてもうひとつ。なんとこの教会内に、聖パトリックの聖遺物があったのです。

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クリスタルのケルテック・クロスが聖遺物箱(アイルランド製のものかどうかはわかりませんでした)。十字架の真ん中に聖パトリックの聖血が…!(主祭壇の左側の翼の部分にあります)

アイルランドで亡くなったと言われる聖パトリック。彼の聖遺物が一体いつ、どういった経緯でこのニューヨークへやってきたのでしょう。

アイルランド国内にある聖パトリックの聖遺物と言えば、私が知る限り、国立博物館(キルデア・ストリート)にある「聖パトリックの鐘」くらい。(ローマ法王に認定されたものというわけではなく、あくまでも伝説ですが)
本国にもないものが海を越えたアメリカにあるとは…。これもまた、アイリッシュ・アメリカンの底力&宗教心の強さ故でしょうか。

それにしても、ティファニーと同じ五番街に聖遺物が並んでいるなんて、なんだかアメリカっぽくて面白いな~と思ったのでした。

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大司教区となって来年で200周年

※聖パトリックについては、こちらのHPに分かりやすく解説されています。(カトリック豊島教会のHPより)

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エリス島の移民第一号、アニー・ムーア

先述のエリス島の移民局が開局したのは、1982年1月1日。

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船から見たエリス島

この日、オープンしたての移民局を最初に通過し、エリス島経由アメリカへの初の移民として記録されているのが、なんと15歳のアイルランド人の少女でした。

彼女の名はアニー・ムーア(Annie Moore, 1877-1923)。
アイルランド南部のコーヴ(Cobh)港から、幼い弟2人と一緒に蒸気船Nevada号に乗り込んだアニー。その10日後、先に移民していた両親と兄の待つ憧れのアメリカへやっと到着。
Nebada号をいちばん最初に下船したアニーは、エリス島の移民第一号として歓迎されました。移民局長より記念に金貨10ドルをプレゼントされ、びっくりしたそうです。
そして偶然にもその日は、アニーの15歳のお誕生日でもありました!

このアニー・ムーアという女の子は、移民の歴史の象徴としてアイルランドでは広く知られています。
彼女の出発の地コーヴには、アニーと幼い弟2人の銅像が立てられているほど。

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いざアメリカへ~!と希望に燃えるアニー(2007年8月撮影・コーヴにて)

そして、エリス島の移民博物館内にも同じ彫刻家によるアニー・ムーア像がちゃ~んとあるのです。
大西洋を隔てて立つ2つの像は、まるで対になっているかのよう。

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アメリカに無事に到着したアニーは今度はひとり。このポーズがなんともいい感じ

数年前に初めてエリス島に来た時のこと。
移民局1階のフロアーの片隅に立つアニーの像をようやく見つけて(私の想像では移民局の前にあると思っていた!)、「これでやっと、移民前・移民後の2つ像を見られたわ~」と感激。私の「アニー・ムーア参り」がこれで完成~といった気分になったものです。
まるで「善光寺にお参りしたら北向き観音にもお参りしないと片参りになる」とでもいうように、いつの間にやら「コーヴの像を見たからには、エリス島のも見なくっちゃ」という気分になっていたのでしょう(笑)。

今回も以前と同じ場所に彼女を見つけ、なんだかほっと一安心。
どういうわけか、この15歳のアニー・ムーアちゃんのことが私はとっても好きなのです。

以前にアニー・ムーアの簡単な伝記を読んだことがありますが、移民先での暮らしは想像以上に大変だったようです。

学校に行けると思っていたのに、家族を助けるためにすぐに働かなければならなかったアニー。移民局長さんからもらった記念金貨も、ホテルのベルボーイをしていたお兄ちゃんが、お金に困って売ってしまったと書かれていました。
のちに結婚して11人もの子にも恵まれたアニーですが、47歳という若さで病気で亡くなったそうです。

現在、アメリカ合衆国内には、4000万人を超えるアイルランド人移民の子孫が暮らしています。
ケネディ家のように有名になった一族もありますが、その多くが夢見てやってきたアメリカでも思うようにいかず、苦労のし通しでした。
そんな人々が、縁の下の力持ちとして国を支えてきたことを思うと、今日のマンハッタンの灯りもより輝いてみえるのでした。


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エリス島の移民局を訪ねて

ニューヨークの自由の女神のある島のお隣りに、エリス島(Ellis Island)というもうひとつの島があります。
この島にある赤レンガを使ったヨーロッパ風の美しい建物が、かつてアイルランド人を含む世界各国からの移民たちが、アメリカ本土上陸の前に上陸・通過した移民局でした。

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1892年開局。1954年に閉鎖されるまでの62年間に1200万人が通過。現在は博物館となっています

以前にニューヨークに来た時は、時間がなくてチラリとしか見ることができなかったこの博物館。今回は日本語のオーディオガイド付きでじっくりと見学してきました。

このオーディオガイドの説明が、退屈してしまうかと思いきや実に興味深く、ぐんぐん引き込まれてしまい、最終的には2時間近く博物館内で過ごしてしまいました。
当時の移民の喜び・哀しみをすっかり追体験。時代は違えど、アイルランドにおける私の立場も移民のようなもの。メディカル・チェックを含む厳しい検査を受け、ようやくアメリカ本土への上陸を許可された人々の気持ちを、ダブリンのイミグレーション・オフィスでようやくパスポートにスタンプを押してもらった時の自分の気持ちになぞらえて、なんだかじ~んときてしまったりしたのでした。

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船から上陸した移民たちが登録を待ったホール。女性は、男性の同伴者または男性の迎えがないと入国を許可されたなかったので、ここで結婚する人もいたそう…

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ドイツ人、ロシア人、イタリア人…さまざまな国からの移民たち。上段真ん中の女性はアイルランド人

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世界各国からもたらされた品々。ケルティック・クロス(国章のハープと4地域の紋章があしらわれています)とシャムロックのお皿はもちろんアイルランド移民のもの

※エリス島移民博物館
Ellis Island Immigration Museum


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マンハッタンのモデルはリマリック・シティー?

学生時代からの友人が長く住んでいることもあり、過去数回にわたって訪れているニューヨーク。
今回は仕事でフォートワースに出張していた姉とここで合流、数日間の短い滞在ですが、すっかり観光客気分で楽しんでいます~。

移民の歴史により、アイルランドとは深いつながりのあるニューヨーク・シティー。
碁盤の目のように区画されたマンハッタンの街は、リマリック・シティーがモデルとの説も…!
(確かにリマリックの新市街は、碁盤の目のようなつくり)

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ニューヨークの夜景(エンパイヤ・ステイト・ビルディングより)

数年前に『ギャング・オブ・ニューヨーク』というレオナルド・ディカプリオ主演の映画がありました。
あの映画で見たように、マンハッタンが出来上がっていく過程にはアイルランド系の移民が大きく関わっていたことを思うと、リマリック・シティーとのつながりもあながち嘘ではない気がします。

やはり仕事柄、ニューヨークのアイルランド関連の場所が気になってしまい、今回もちょこちょこと訪れています。
エリス島の移民局や、五番街の聖パトリック大聖堂、後日アップいたしますね!


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テキサスの「ダブリン」コネクション!

フォートワースの姉の家の近所のスーパーで見つけたアイスクリーム。
その名も“Dublin Mudslice”

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アイリッシュ・クリーム・リカー味で、チョコチップ&コーヒー・ファッジ入り。
名前に惹かれて買ってみたところ、これがなかなかおいしくて、テキサスにいる間中、毎日食べ続けてしまいました~。

テキサスの「ダブリン」には、今回は残念ながら行くことが出来ませんでしたが、そこは人口3000人ほどの小さな町で、「テキサスのアイリッシュ・キャピタル!」を歌い文句にしている町だそうです。
そこでは今も尚、19世紀からの伝統的な製法で、元祖・瓶入りDr Pepperを作っているのだとか。(サトウキビから取れる砂糖を使用)

人も穏かで、広々としたテキサス
約1週間の滞在を終え、楽しい思い出いっぱいでアイルランドに戻ってきました。
次に訪れる機会があれば、アイスクリームだけなく、「テキサスのダブリン」でDr Pepperを飲んでみたいものです!

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テキサスのエニスへ

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テキサスのエニスという街へ連れて行ってもらいました。
アイルランドにあるカウンティー・クレアのエニス(Ennis, Co.Clare)と綴りもそっくり!

アイルランドのEnnisはアイルランド語の「inis(イニシュ)=島」が語源というのが通説ですが、テキサスのEnnisは過去の市長さんの名に由来するとのこと。
直接的なコネクションはなさそうですが、なんだか嬉しい偶然です。

こちらテキサスのエニスは、テキサスの州花ブルーボネット(Bluebonnet)の群生地として知られる地。年に一度の花の時期が、ちょうど今とのこと。
エニスの町で開かれているブルーボネット・フェスティバルをひやかした後、ブルーボネット・トレイルに沿ってお花見に出かけました。

車窓に次々に見えてくるブルーボネットの群生地。
まるで青いじゅうたんを敷き詰めたかのような夢のような光景が広がります。

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一面に広がる見事な花の海!

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時々混ざって咲いている赤い花は、インディアン・ペイント・ブラッシュ。こちらも素朴できれいな花です。

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毎年4月のこの時期には、ブルーボネットを見に世界各地より10万人の観光客がエニスを訪れるとのこと。
そんなことは全く知らずに、たまたまちょうどいい時期にテキサス訪れることが出来て、本当にラッキーでした!

※4/17追記:調べてみると、テキサスのエニスの地名の由来となったコニリアス・エニス(Cornelius Ennis, 1813-1899)さんはやはりアイルランド系でした。お父さんの代にアイルランドからの移民したとのこと。


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観光客気分を満喫!

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テキサスの青い空

フォートワースの歴史地区ストックヤード(Stockyard)へ、姉に連れて行ってもらいました。
かつてアメリカ最大級の家畜取引が行われていたというこの地域には、西部劇のような古き良きアメリカの街並みが残されています。

普段は案内役の私も、ここでは思い切り観光客。
テキサス名物ロングホーンの牛にも乗ってしまいました~。

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もともとカウボーイやウェスタン・スタイル好きな私。
次に生まれたときにはカウガールになりたいわ~と、すっかりはまってしまいました。

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大好きなカウガール・ファッションがいっぱい!

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カウボーイ仲間?

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さすが本場、ステーキは絶品

夜はロデオを見物
地元のカウボーイ、カウガールたちがゼッケンをつけて次々に登場し、暴れ馬に乗ったり、暴れ牛に乗ったり、投げ縄で子牛を捕まえたり…会場は地元の人々と観光客で大盛況!

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今回は姉が案内してくれることもあって、ガイドブックも見なければ地図も見ない。アイルランドにいる時のように観光地で知った人に会うこともない。
テキサスの青い空をただただ満喫しています~。
あまりいろいろなことを考えずに、時にはこうやって気楽な観光客になるのもいいものですね~。


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ダラスのケネディ暗殺現場へ

フォートワース滞在3日目、トリニティー・レイルウェイ・エクスプレス(TRF)という列車に乗って、ダラス(Dallas)へ出かけてみました。
ここで私がどうしても見ておきたかったのが、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy, 1917.5.29-1963.11.22)の暗殺現場となった場所。

合衆国内に現在4000万人を超えると言われるアイリッシュ・アメリカンですが、歴代のアメリカ大統領にもアイルランド系が多く、ジョン・F・ケネディはその代表選手。ケネディ一家のストーリーはアイルランドのツアー中に必ずと言っていいほどお客様にお話しているので、私には馴染み深いトピックです。

曽祖父の代にカバン一つの貧しい身なりでアメリカに移民したケネディですが、祖父が酒造業で成功、父親は20代前半で銀行の頭取となり、さらに駐英国アメリカ大使にまで出世。息子を合衆国大統領に…と闘志を燃やします。
父親、そしてJFK本人はアイルランドに何度か里帰りしており、JFKの最後のアイルランド訪問は銃弾に倒れるほんの4ヶ月前。アイルランド各地で熱狂的に迎えられたそうです。
ケネディ一家の出身地はアイルランド南西部ニューロス(New Ross)近郊。そこには今でも先祖の家が残されています。(プライベートなもので公開はされていません)

移民4代目でついに合衆国大統領を出したケネディ一族。
次期大統領選のキャンペーンでダラスのダウンタウンをパレード中だったジョン・F・ケネディ大統領は、1963年11月22日、教科書倉庫として使用されていたこの建物6階の窓から狙撃されたとされています。

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現在、その6階部分がシックス・フロアー・ミュージアム(The Sixth Floor Musenumとして公開されており、パネル資料とビデオによる展示館。
解説テープを聴きながらじっくりと見学したのですが、これまで断片的に知っていたケネディ暗殺の一連の事柄が、暗殺時の写真や証言を交えて非常にリアルに一続きによみがえってきて、大変深い博物館でした。

オズワルドの犯行現場とされる一角には、ダンボール箱などを積み重ねて当時の様子を再現。
その隣りの窓からはパレードのルートが見え、大統領が銃弾に倒れた路上には×マークが付けられています。

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のちほど外で撮影。3回撃たれたので3ヶ所にマークがあります

ケネディ暗殺の真相については言われている通り不可解な部分が多く、博物館の展示で事実関係を確認すればするほど疑問がわいてきて、なんだかキツネにつままれたような気分…
トルネードの予報も出ており、雨が降ったりやんだりの怪しい空模様でしたので、釈然としない気持ちのまま早めにダラスを出て、フォートワースに戻ってきました。

ケネディの生涯が「栄光」と「悲劇」に包まれているとすれば、先祖の地アイルランドでは前者が、その舞台となったアメリカでは後者が印象付けられているように思います。
当人たちにとっては、貧しいアイルランド時代が「悲劇」、成功への階段を上がっていたアメリカ時代が「栄光」だったのでしょうけれど…なんとも皮肉な話です。

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アメリカのセント・パトリックス・デー

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アメリカのシャムロック・カップケーキ

仕事でアメリカにいる姉が、テキサス州フォートワースのセント・パトリックス・デーのパレードの写真を送ってきてくれました。

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さすがテキサス、カウボーイネイティブ・アメリカンがいっぱい!
姉の話によると、近所のスーパーではキャベツが特売になっていたそうです。(緑色だから!)

全世界に散らばるアイルランド系人口は約7000万人、うち4000万人がアメリカ合衆国内にいます。
アメリカ人の4~5分の一はアイルランド系ということになり、セント・パトリックス・デーのお祭りも、本国ではなく、アイルランド系移民の多かった18世紀のニューヨークが発祥地です。

日本の表参道のパレードでは、シャムロックの金太郎飴が配られたとか。
世界各国のセント・パトリックス・デー、それぞれお国柄が反映されていて面白いですね。


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