ナオコガイドのアイルランド日記

観光ガイドによるアイルランド生活・旅情報

エアリンガス、今年で就航80周年

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何度乗っても写真を撮りたくなる、シャムロックの翼!

本日より1週間ほど、UKで仕事。ロンドン・ヒースロー空港でお客様をお迎えするため、ダブリンからアイルランドのフラッグキャリアであるエアリンガス(Aer Lingus)に乗ってやってきました。
エアリンガスは今年2016年が就航80周年なんですね。機内誌「カラ(Cara)」マガジンを読んで知りました。

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「カラ」マガジン大好き。適度な情報量&ピックアップする情報が多彩でイマドキ、乗るたび読むのが楽しみ♪

ここにエアリンガス創成期の歴史、ゆかりの人々のインタビューなどが写真と共に掲載されており、ロンドンまでの小1時間のフライト中に夢中で読みふけってしまいました。

エアリンガスの初フライトは、1936年5月27日。EI-ABI便、ブリストル行き。午前9時にダブリン近郊のバルドネル(Baldonnel)を出発、乗客はたったの5名だったそうです。(この頃はまだダブリン空港がない!バルドネルは現在、アイルランド空軍の軍用機専用空港。1941年にダブリン空港が完成するまでは、民間機もそこから離着陸していたのでした)
機材の名はLolar号。「Lolar」はアイルランド語で「ワシ」の意味なので、初フライトは「アイリッシュ・イーグル(アイルランドのワシ)上陸!」として知られたそうです。
同年にマン島行き、ロンドン(Croydon空港)行きも就航。10年後の1946年に加わったパリ行きを皮切りに、ヨーロッパ大陸への路線が徐々に開拓され、1958年には大西洋を越えてニューヨークへと航路が拡張しました。

エアリンガス初の女性パイロット(1988年)となった人(彼女の父親、妹、夫、成人した2人の娘もパイロットだそう!)、公式アンバサダーを務めているラグビー選手ジョニー・セクストンなど、エアリンガスゆかりの人々へのインタビュー記事も面白く、中でもいちばん目を引いたのは、機内で赤ちゃんを取り上げたという女性の話。
1975年、エアリンガスのスタッフとして、ポルトガル人の難民をモザンビークから本国へ送還する便に乗り合わせていたしたジャッキー・ライアンさんは、看護師として訓練を受けていたため、身重のポルトガル人女性が機内で産気づいた時に真っ先に呼ばれ、ファーストクラスの座席で赤ちゃんを取り上げたそうです!お湯と数枚のタオルがあるだけでしたが、消毒薬にはジンがたっぷりあったので良かったわ…とのこと。
その機材の名が「セント・パトリック」号だったので、生まれたポルトガル人の男の子はパトリックと名付けられたそうです。なんだかいい話。

エアリンガス80年の歴史に思いを馳せているうちに、あっという間にロンドン到着。
機内でのおやつはアイルランドの定番、バリーズ・ティーとテイトー・ポテトチップス。エアリンガスに乗ったら、やっぱりコレでしょう(笑)。

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私が初めてエアリンガスに乗ったのは、日本から添乗員としてグループを率いて初めてアイルランドの地を踏んだ1998年夏。当時は紅茶はグリーンのプラスチック・カップで出されていましたよね、懐かしい~。飲み物・スナックが有料化される以前の話です(笑)

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雹が降ったり、晴れたり…

今年のアイルランドは春遅く、もう来週から5月になるというのに、まだ冬のコートが手放せません。
暖冬だったのに、春が寒い…という、おかしな気候です。花の開花も遅れているようで、昨年の今頃の写真に写っている花がまだ咲いていないのでびっくりしました。

この時期にアイルランドでよくある天候が、雹(ひとつ)。
晴れていたと思ったら、突然にバラバラッと予兆なく降ってくるので油断なりません。昨日は直径7~8ミリの氷粒が空から落ちてきて、家の前で鉢植えの手入れをしていたのですが、慌てて家に逃げ込みました。1分も経たないうちにやんでしまいましたが。

今日は寒めではありますが、いいお天気。近所のグランド・カナル(Grand Canal)にかかる橋からの眺めです。写真では小さいですが、よ~く見ると白鳥とルアス(路面電車)も写っています。

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ルアスのドリムナ(Drimnagh)駅にて

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マルキヴィッチ侯爵夫人の銅像(ラスコーマック)

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軍服姿の闘うマルキヴィッチ侯爵夫人の像。ラスコーマックにて

スライゴ近郊のラスコーマック(Rathcormac, Co. Sligo)にある、1916年イースター蜂起で闘ったマルケヴィッチ侯爵夫人(Countess Markiewicz、1868-1927)の銅像。
今年は2016年はイースター蜂起100周年。先日ご案内させていただいたお客様が興味を示され、スライゴの本屋さんでマルケヴィッチ侯爵夫人の生涯を描いた子供向けの英語の本をお買いになられたので、普段は通り過ぎてしまうことの多いこの銅像ですが、せっかくなので車を停めてご案内させていただきました。

ポーランド人の侯爵と結婚したため侯爵夫人と呼ばれる彼女ですが、本名はコンスタンス・ジョージーン・マルキビッチ(Constance Georgine Markiewicz)。旧姓はゴア・ブース(Gore-Booth)と言い、アングロ・アイリッシュの貴族のお嬢さんとしてスライゴ近郊の屋敷リサデル・ハウス(Lissadell House)で何不自由ない子供時代を過ごしました。
(ずい分前の記事ですが…→よみがえったリサデル・ハウス(スライゴ研修・最終)

結婚後は芸術活動をしながら、ダブリンで上流階級の暮らしをしていましたが、貧しい労働者階級のアイルランド人に共感し、次第に民主主義運動にかかわるようになります。自分のポケットマネーで食料を調達し、貧しい子供や若者のための無料の食堂を開いたこともありました。
イースター蜂起で処刑を免れた彼女は、のちに英国下院初の女性国会議員に当選、さらには1919年、アイルランド内閣の労働大臣に任命され、アイルランド初の女性大臣となりました。これはヨーロッパ初の女性大臣でもあります。
59歳という短命だったのが悔やまれますが(貧民院へ出入りして結核を患ったのが原因のようです)、革命の時代を闘いぬいた、慈悲深い女性闘士の一人として歴史に名を残しました。

私はいつも、マルキヴィッチ侯爵夫人のように、社会や時代の流れの中に自らを捧げる生き方をした女性のプライベートに興味があります。結婚とか、出産とか、子育てとか。どうやって両立させていたのだろうと。
そして最近思い当たったのですが、仕事とプライベートを両立…などという考え方は至って現代的であり、当時はそんな概念さえ成り立たなかったのかも。

マルキヴィッチ侯爵夫人には2人の子供がいて、上の男の子は夫の連れ子、下の女の子メイヴが実子。連れ子のことは可愛がったようですが、娘はリサデルの両親に預けっぱなしでしたので、成長するに連れて母親に反目し、縁が薄くなっていったようです。
夫は夫人が政治活動に没頭し始めた頃、ポーランドへ帰国。その後も連絡を取り合い、夫人の臨終に駆けつけてはいますが、2人が一緒に暮らしたのは結婚後の7年間のみでした。
彼女の場合、人生の後半は闘って投獄されて…を繰り返していたので、普通の家庭生活などは遠い日のこととなっていたでしょうが、この時代の女性としては相当な犠牲を払って自分の信念を貫いたということでしょう。夫も子供も捨てて、アイルランドの自由な未来のために身を捧げたのですから。

ちなみに詩人のイエーツは若かりし頃、リサデル・ハウスを訪ねては、ゴア・ブース家の2人姉妹と親しく交流していました。イエーツはその詩の中で、「シルクの着物を身にまとい、二人とも美しく、そのうちの一人はガゼルのようで…」(two girls in silk kimonos, both beautiful, one a gazelle)と詠んでいます。(ガゼルを思わせる容姿だったのは、長女のマルキヴィッチ侯爵夫人の方)
19世紀後半のスライゴのお屋敷で身につけられたシルクの着物。一体どのようなものだったのか興味深いですね。上流階級の女性の部屋着としてのガウンのようなものだったのでしょうか。

あれこれ想いは広がりますが、昨日4月24日がイースター蜂起勃発からきっかり100周年に当たる日でしたので、蜂起のリーダーたちのことをあれこれ考えていてマルキヴィッチ侯爵夫人に思い至った次第です。

ちなみにマルキヴィッチ侯爵夫人の像はダブリンにもあります。ひとつはタウンゼント・ストリート(Townsend Street, Dublin2)にあるMarkiewicz Leisure Centreと名付けられた室内プールのあるジムの前。消防署の裏です。こちらは軍服ではなく、平装のマルキヴィッチ侯爵夫人が愛犬Poppetと一緒に立っています。
もうひとつはセント・スティーブンズ・グリーン(St Stephen's Green, Dublin2)内。こちらは胸像です。

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ラスコーマックの銅像前にて。ベンブルベンの見える景色をカメラに収めるお客様

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ロレインのヘン・パーティー

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ラズベリー入りのシャンパンで乾杯

仲良しの友人ロレインが来月結婚することになり、昨晩はヘン・パーティー(Hen party)でした。

ヘン・パーティーというのは、花嫁を送り出す内輪のさよならパーティーのようなもので、独身最後の女子会とでもいったらよいでしょうか。花嫁の姉妹や友人で構成される女性だけのパーティーをヘン(メンドリ)と言い、花婿の方はスタッグ(オス鹿)と言います。
昨晩はダブリン市内の素敵なバー&レストランにて、ロレインの妹、義理の妹たち、学校時代や職場のお友達、そして私たちサーフ・クラブの仲良しを加え、総勢20名が華やかに集い、楽しい晩を過ごしました。

ヘンやスタッグはもっと大掛かりに行う人も多く、週末かけて国内の別の街や海外へ出かける場合も。花嫁さん・花婿さんが20代で若いほど派手に大騒ぎする傾向にあって、週末のダブリンやゴールウェイでは若いヘンやスタッグが酔いつぶれているのをしばしば見かけます。バニーガールの恰好をして繁華街を歩いていたり、ピンクのキャデラックを貸切ってドライブしているのはヘン・パーティーの女の子たちです(笑)。

私たちはそういう年齢を過ぎてしまったので(笑)、おしゃれなディナー、そしてナイトクラブで二次会。
ロレインとは過去数年、週末のサーフトリップで部屋をシェアしたり、クリスマスにご実家に招いてもらったり。テネリフェやコスタリカへも一緒にホリデーに行ったし、以前は家も近かったのでよく行き来してました。
こうやって数年親しくしていると、ロレインのご家族や学校時代のお友達ともすっかり顔見知りに。昨晩のヘンではほとんどのお何の子たちがロレインを介して会ったことのある子ばかり。ロレインの人柄のせいでもありますが、友人関係がオープンな小さな国アイルランドならではですね。

結婚式まであと1か月弱。大好きなロレインの晴れの日がとっても楽しみですが、感極まって教会へ行く前からもう泣きそうです…。

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ストーニーバターのタパス・レストラン、Boqueria

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直径1.5センチ四方のユニークなサイコロ型チップス。スパイシーなトマトソースとガーリックマヨネーズが絶品♪

街の中心を流れるリフィー川によって南北に分けられているダブリンは、伝統的にサウスサイドが山の手で、おしゃれなレストランやバー、ショップはサウスサイドにあるというのが定説。
ところが最近、下町の汚名を持つノースサイドにもヒップなカフェやレストランが出来てきて、事情が少し変わってきました。特にここ数年、ダブリンの中でコーキーなエリアになってきたのが、かつてはコテコテの下町でガラの悪いイメージだったストーニーバター(Stoneybatter, D7)です。

ここに昨年オープンしたタパス・レストラン「Boqueria」が評判がいいと聞いて、レストランのすぐ近くに住む友人ディヴィッドが「ストーニーバターの集い」を企画してくれました。集まったのはノースサイダー歴5年のディヴィッド、ノースサイド郊外居住者3名、サウスサイダー4名(私も一応ここに含まれます。ノースサイダー歴も長かったのですが)の計8名。楽しいタパス・ディナーの夜となりました。

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まるでカフェみたなカジュアルな外観のレストラン。サウスサイダー(と言ってもほんとはコーク出身・笑)のアンマリーは、ストーニーバター初デビュー。同じダブリンなのに、海外の見知らぬ街にホリデーに来たみたい~と大喜び(大袈裟な…笑)

ダブリンではここ数年タパス・レストランが人気なのですが、やっぱりひとつのものをがっつり食べるだけじゃなくて、本当はいろいろなものを食べてみたかったんですよね、アイルランド人も。そういう食べ方がこれまでなかっただけ。小皿でちょっとずつ食べたり、シェアしたりする食べ方もなかなか社交的で楽しいな~と思い始めたみたいです。

ただ、小皿といってもこちらのタパスは結構な量があって、肉や魚のタパスだと、多めの前菜くらいの量(笑)。だいたい一人2品頼むのですが、私は隣りに座ったディヴィッドと2人で6品+デザート付きのテイスティング・メニューを注文していろいろいただいてみました。評判になるだけあってどれも凝ったお料理で、本当においしかったです。

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周りを軽くあぶっただけのツナ。コショウがきいていておいしい。アイルランド人の友人たちは皆、これが一番おいしかったと言っていました

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ウズラのお肉がトッピングされたリゾット

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サーロインステーキ。黒コショウのクレームブリュレと一緒に食べたら、舌がとろけそうなおいしさ~

写真撮り忘れましたが、私がいちばんおいしかったのは、スモークした鯛がリンゴ&フェンネルの千切りサラダの上に乗せられて出てきた一品。酸味が効いていて、なんともデリケートなお味で、魚もしっかりしていておいしかったです。また食べたい♪

冒頭写真のサイコロ型チップスは、周りがカリカリ、なかはマッシュポテトかと思うくらいにクリーミー。みんなじゃんじゃん追加注文して食べていました。(アイルランド人は本当にチップスをよく食べます…)

そして極めつけはデザート。なんとこれ、お菓子で出来た「バーガー&チップス」なんです。

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左からココナツ・ムースの目玉焼き、ラズベリーソースのケチャップ、ショートブレッドのチップス、ウェハースにイチゴとゼリーがはさまったバーガー。右端はエスプレッソ実寸大。おままごとの食事みたいで楽しかったです

食後はレストランのほぼお隣りのようなところに住む、ストーニーバターっ子のディヴィッド宅にてワインで二次会。久しぶりに友人たちとくつろげて楽しい夜でした。
このレストラン、しばらくはまりそう。楽しくておいしい。お勧めです♪

Boqueria Tapas Restaurant
3 Prussia Street, Stoneybatter, Dublin 7.
Tel 01-868-3575
オープン 月~土 5am-Late (定休日 日曜日)

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小泉八雲熊本旧居にも被害

熊本の地震以来、その後の余震や、被災者の方々の状況を日々ネットでニュースを追って過ごしています。私の父が天草出身。今はもう九州地方に直接の親戚はないのですが、それでも熊本と聞くと人ごととは思えない気持ちです。
5年前、父の17回忌の年に家族で天草を訪ねた際、帰りに熊本城の桜を見て感激。あの熊本城も石垣が崩れ、天守閣の屋根瓦が崩れ落ちてしまったと聞きました。
過去にご案内させていただいた熊本出身のお客様もいらっしゃるので、皆さんご無事でいらっしゃることをただただ願うばかりです。

熊本にはアイルランドつながりもあって、19世紀にアイルランド人で日本人に帰化した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が暮らした地。1890年に来日して松江に暮らした後、そこで結婚した妻のセツさんを伴って熊本へ。1891~1894年の間、熊本大学(当時は熊本第五高等学校)の英語教師として過ごしました。
八雲が住んだ家は保存会によって解体修理が行われ、小泉八雲熊本旧居として復元。現在、熊本市指定の文化財とされています。

その八雲の家も今回の地震で被害を受けたと聞きました。昨年お仕事でご一緒させていただいた八雲の曽孫さん小泉凡さんの奥様、小泉祥子さんがFacebookでお知らせくださったのですが、庭の灯篭が壊れ、お隣りの塀が倒れ、ハーンが愛した神棚は吹っ飛んでガラスを破壊。部屋の中はめちゃめちゃになってしまったそうです。
松江の小泉八雲旧居(ヘルン旧居)では、義援金箱を設置して寄付を呼び掛けておられるとのこと。被災された市民の皆さんの安全確保が第一ではありますが、熊本城はじめこういった文化財の損傷も残念でなりません。

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在りし日の小泉八雲熊本旧居(小泉祥子さんのFBより・2014年撮影)

熊本とほぼ同じ時にエクアドルでもうちょっと大きい地震があったので、こちらでは報道がそちへ偏ってしまったのですが、ニュースを聞いて、日本のご家族やお友達は大丈夫?と心配して連絡をくださったアイルランド人の知人もあり、ありがたく思いました。

遠い場所から想いを寄せている人たちもたくさんいます。少々の寄付と願うことにしかできませんが、被災地の方々の状況が一刻も早く良くなるように心より願っています。

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潜水艦の発明者ホランドの銅像の行方

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ホランドさんは今、ここに… 

今回のお2人様のツアー中、モハーの断崖へ行く途中にリスカノー(Lisconnor, Co. Clare)を通り、いつものように潜水艦の発明者であるジョン・P・ホランド(John P. Holland)がこの村の出身であることをお話ししていました。「右側にホランド艇1号に乗ったホランドの像があります~」とご案内しながら右を見たら、なんと銅像がない! 車を停めてそこにいた村人に聞いてみると、近くにビジターセンターが出来て、そこに銅像が移されたとのこと。船舶や海洋関係のにご興味が深いお客様でもあったので、新しく出来たセンターに立ち寄ってみました。

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ホランドに関する展示に加え、お土産ショップ、トイレ、コーヒーもあるので、休憩所としても使えそうです 

懸念のホランド像はセンター内に無事に設置されていました。(冒頭写真)ホランドのこの銅像については、ずい分前に一度ご紹介しています。→潜水艦の発明者ホランド(リスカノー) 
なんと約10年前の記事。写真を見比べてみると、この頃から銅像もアップグレードされているようです。 

ジョン・P・ホランドは1841年、当時アイルランド語のみが話されていたリスカノーの小さな村で生まれました。身体の弱かったホランド少年ですが、地元の小学校を出て、リムリックの学校へ通い、数学教師になり、アイルランド各地で教鞭をとります。コークでの教職時代に読んだ本からインスピレーションを得て、船を攻撃するには水の中からがいちばんである!と信念を得て潜水艦の設計図を完成させるのですが、この時には資金繰りがうまくいかず、日の目を見ることはありませんでした。
 
32歳でアメリカに移民して、今度はアメリカで教職に就きます。ある時ボストンの街中で、凍結していた道路で滑って転び足を怪我してしまいます。人生に思わぬ中休みが出来たこの時に、再び潜水艦の設計図を引っ張り出したのが運のツキ。今度こそ実現させるべく資金繰りに奔走、アメリカ政府に働きかけるも、「潜水艦など民間人の馬鹿げた夢だ」と嘲笑して取り合ってくれなかったので、アイルランド独立運動結社フェニアンより「敵国イギリスに打ち勝つため!」という名目で資金援助を得ることになりました。  このおかげで、教職を辞して潜水艦の制作、改良に専念。初めの試みでは沈んでしまったようですが、紆余曲折を経て、1897年にホランド艇1号の稼働に成功しました。アメリカ政府も徐々にホランドの実績を認め、1900年にはアメリカ海軍初の潜水艦が導入されました。 

日露戦争(1904-5年)の際、日本もホランドの潜水艦をアメリカから輸入しています。実際の海戦では使用されなかったようですが、この功績により、ホランドは明治天皇より日章旗を授与されています。

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センター内展示の様子。短い休憩でよく見る時間がなかったので、今度機会があったら展示をゆっくり見てみたいものです 

3月下旬にオープンしたばかりというホランド・センター。私たちが日本人初の訪問者だったようで、歓迎していただきました(笑)。

John P Holland Centre 
The Mermaid House, Liscannor, Co. Clare. 
Tel +353-70-82700 
(入場料は今回は無料でしたが、今後有料になるかも)


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今年最初のツアー終了

約10日間にわたる、今年度最初のツアーが無事終了しました。
お二人様のご案内だったので、ぴったりみっちり、日々びっしりと密度濃くご案内させていただき、ブログのアップデイトの時間もないまま終了してしまいました(笑)。

感激屋さんのお客様で、ダブリン空港でちょっとウルウルしながらお別れ。このお客様は、当初フランスへ行く予定だったのですが、テロがあったためにどこか別の場所へ…と地図を見ていたところ、フランスの上にまだ行ったことのないアイルランドという国があった!…と気が付き、来ることを決めたそう。
ひょんなきっかけでアイルランドに来てみたら、思いがけず素晴らしく、毎日楽しく過ごしました、とおっしゃってくださり、嬉しかったです。

ツアー中に遭遇したことなど、2~3ご紹介したいことがあるのですが、明日からまた別の仕事なので、ひとまず寝ます。毎日めいっぱい、あちらへこちらへとご案内させていただき、とても張り合いあって楽しかったけれど、さすがにちょっと疲れました(笑)。

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写真撮影に熱心なお客様。断崖絶壁に身を乗り出してカメラを構える雄姿を、後ろからパチリ(アントリム・コーストにて)

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大洪水…

ツアーのご案内でアイルランド南部にいますが、今日は台風並みの暴風雨。
大雨の中、ブラーニー城(Blarney Castle, Co. Cork)にたどり着くと、敷地の中を流れている小川が大洪水していました。

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城の手前の橋が渡れず迂回…

外の観光があまりできないので、ショッピングやパブで多くの時間を過ごしました。こんな日も中休みになっていいですよ、とおっしゃってくださるお客様に感謝…。
明日は雨風がおさまるといいのですが。

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春の信州を満喫(春スキー・スノーモンキー・アンズの里)

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サル年にちなんでサル見物。子ザルが可愛かった♪ 地獄谷にて

昨日アイルランドに戻り、今日からツアーのご案内です。スーツケースの荷をといて、また詰める日々…(笑)。

今回は、家族皆の予定が合ったので、急遽決めた1週間のみの帰省。短かったけれど密度の濃い1週間で、なんだかひと月程も日本にいたような気分です。
地元上田の桜も見ることが出来たし、春の信州を存分に楽しんできました。

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春スキーに行ってきました!なんと約20年ぶりでしたが、問題なく滑ることが出来てびっくり

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近年外国人観光客に大人気のスノーモンキーこと、地獄谷のサルも見に行きました。おサルのコーヒー♪

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帰りに更埴のアンズの里でお花見

アイルランド滞在が長くなるにつれて、日本が実家であると同時に、言葉の通じる「外国」になりつつあります。次回の帰国がすでに楽しみですが、まずは仕事。
忙しくなる前に日本の家族とゆっくり過ごすこと出来たので、しばらくはまたガイド業に専念できそうです!

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